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永遠無敵の白眉道人、名悪役武打星ロー・リエ

1938年(40年説も)インドネシアの華僑の息子として生まれたロー・リエ(羅烈)は、10歳で香港へ移ると62年に俳優養成所を経てショウ・ブラザースと契約。当初は正義派としてキャリアをスタートさせたロー・リエが、最初に悪役として注目を浴びたのはロー・リエが悪辣な日本人に扮し、ジミー・ウォングと対決した『吼えろ!ドラゴン、起て!ジャガー』(70)だった。だが、何と言ってもロー・リエの名を香港のみならず一躍欧米に知らしめたのが、チェン・チャンホー監督作品『キングボクサー大逆転』(72)だ。

ショウ・ブラザースが自分たちの作品を海外マーケットに進出させる試金石として公開した『〜大逆転』は、アメリカで大ヒット(73年の3月から6月まで興行成績のベスト10に入り続け、5月には最高3位に入る)を達成し、それが後の『燃えよドラゴン』(73)の欧米公開の布石となった。余談だが、この『〜大逆転』の韓国公開版『鉄人』は、劇中の目潰し攻撃などの残酷描写やラストのロー・リエの掌が真っ赤に変貌する有名なシーンなどが、カット編集されたバージョンで公開されている。

さて、多くのクンフー映画や武侠映画に出演しているロー・リエだが、その武打テクニックに関しては、ファンの間で「ロー・リエのアクションは迫力がない!」「武術経験が殆どないんじゃないか?」などと批判されることが多々あった。だが、そんな声を一気に覆す作品が、ラウ・カーリョン監督によって公開される。それがロー・リエが無敵の金鐘罩鉄布衫の達人、白眉道人に扮した『少林虎鶴拳』(77)である。この映画でのロー・リエとチェン・クアンタイ扮する洪煕官との2度に渡る、まさに目の覚めるような電撃の拳技ファイトは、ロー・リエが武打星として類まれなる実力者であることを証明したばかりか、白眉道人を香港映画史上最強の悪役として、世界中のファンの脳裏に刻みつけたのである。またロー・リエは彼が73年に立ち上げた映画会社「羅氏公司」で『魔鬼天使』(73/未)を監督したのを皮切りに、ロー・リエが白蓮教主に扮した『続・少林虎鶴拳 邪教逆襲』(80)、邪悪な脳が次々と人間を襲うチェン・クアンタイ主演のホラー映画『脳魔』(83/未)などの監督作も残している。

80年代も終盤に入るとロー・リエは『奇蹟/ミラクル』(89)、あるいは『ポリス・ストーリー3』(92)などでのバイプレーヤー役が多くなり、そのフィルム・キャリアは最終的には200本近くにも及び、最後はロー・リエ扮する老人と若者との交流を描いた『金魚のしずく』(01)で静かに完結した。

私生活では結婚と離婚(愛妻の1人はスタンリー・トンの姉のトン・カーライ唐嘉麗)を繰り返し、事業でも失敗するなど波乱の人生を歩んだロー・リエが、02年の11月に心臓病でこの世を去った時、多くの香港映画ファンが深い悲しみに沈んだ。その中には、01年のカンヌ国際映画祭でロー・リエとの対面を熱望しながら果たせずに終わったクエンティン・タランティーノもいた。その後タランティーノは、自分が大ファンだったロー・リエの代名詞である白眉道人を、自らの監督作『キル・ビルVOL.2』(04)で、生前のロー・リエと銀幕の中で何度も激闘を展開した僚友リュー・チャーフィーを“パイメイ”として再生させることで、ロー・リエへの追悼としたのだ。人種を越え、国境を越え、世界中のファンから愛された名悪役武打星ロー・リエの魂は今も不滅である。

知野二郎(香港功夫映画評論家)

ロー・リエ 出演作品

1965年 『江湖奇侠』
1966年 『虎侠殲仇』
1968年 大女侠
1969年 『鐡手無情』
1970年 『吠えろ!ドラゴン、起て!ジャガー』
1972年 『キング・ボクサー大逆転』『十四女英豪』
1976年 『真・西部ドラゴン伝』『マジック・ブレード』『流星胡蝶剣
1977年 少林虎鶴拳
1978年 少林寺三十六房』『ドラゴン太極拳』
1979年 少林皇帝拳』『マッドクンフー猿拳』
1980年 『ガッツ・フィスト魔宮拳』『続・少林虎鶴拳 邪教逆襲
『ミッドナイト・エンジェル/暴力の掟』
1981年 『獣たちの熱い夜/ある帰還兵の記録』
1983年 レスリー・チャンの神鳥英雄伝
1984年 『チョウ・ユンファのデビル・バスターズ』
1988年 『サイクロンZ』
1989年 『奇蹟ミラクル』『ワイルドヒーローズ 暗黒街の狼たち』
1990年 『愛と欲望の街 上海セレナーデ』
1991年 『アンディ・ラウ、トニー・レオン蒼き獣たち』『アンディ・ラウの暗黒英雄伝』
1992年 『ポリスストーリー3』
1993年 『フライング・バトル』
2001年 『金魚のしずく』