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武徳の心を持つクンフー・スター、リュー師父

日本では『少林寺三十六房』でクンフースターとしてその名が知られるリュー・チャーフィー(劉家輝)。その素顔は、映画さながらに武術を愛し、回りの人たちからはリュー師父と言われて尊敬される、人間的な魅力に満ちたスターである。

1955年に香港で生まれたチャーフィーは、当時、映画界でも活躍していたラウ・チャンの武館で洪家拳を8歳の時に学び始めた。ラウ家には、カーリョン、カーウィンと息子たちがいたが、チャーフィーを気に入ったラウ・チャンの妻の希望で、ラウ家の養子となる。武術を学びながら、71年に高校を卒業後、普通にサラリーマン生活を始めたのだったが、すでに映画界で武師兼俳優として活躍していた義兄カーリョンたちのスタジオへ遊びに行っていたこともあり、また義兄の勧めもあって、映画界に進むことになる。だが、彼が最初からスターとして活躍したわけではない。 義兄カーリョン監督作『ワンス・アポン・ア・タイム 英雄少林拳』(76)で主役の黄飛鴻を演じてその名が知られるまで、義兄と関係の深かったチャン・チェ監督が台湾で設立した長弓電影公司で、『続・少林寺列伝』(75)などに端役出演して下積み生活を送った。だが、義兄カーリョンとチャン・チェとの関係にひびが入ったことで、香港に戻ることになる。そしてカーリョンが75年『マジッククンフー神打拳』で監督デビューしたことから、チャーフィーもショウ・ブラザースへ入り、義兄の作品の主演として活躍したのだった。

スターとして活躍するものの、撮影で義兄が振り付ける武術演技は、武道さながらに厳しいものであったと彼は言う。それはリアルなアクションに見せるために、本物の武器を使って撮影していたからである。「何度もやらされ、怪我もしたし、死ぬかと思ったこともあったよ。」と語るチャーフィーの腕には、撮影で負った傷のあとが今でも残っている。そしてそれこそが、彼の出演したクンフー映画の嘘偽りのない本物であることの証なのだ。

今でもトレーニングをかかさないリュー・チャーフィーは、仕事を離れると、歌をこよなく愛す家庭人でもある。香港でプライベイトではバンドを組んで音楽をやっているとのことだが、カラオケにいけばそのハスキーな声で「骨まで愛して」等の日本の歌を歌ったり、お酒を酌み交わしながら哲学的な話をするなど、外見とは似つかわしい気さくなところもある。「朝起きた時に5分間だけ、両腕をゆっくり回しながら深呼吸をすると胸の筋肉がつくよ。」そんなアドバイスもしてくれる彼の人間味溢れる姿があるからこそ、皆が彼に対し尊敬をこめて“師父”と呼ぶのがよくわかる。

最近では『キル・ビル』でハリウッド進出をしたことや、ショウ・ブラザースのDVDが世界的に発売されたことで、再び脚光を浴びている。そんな回りの騒ぎとは裏腹に、チャ ーフィー自身は礼をつくし相手に対して丁寧に対応していく。これぞ、『〜英雄少林拳』のなかで描かれた武徳の心であり、それを実践する尊敬すべき武術家でクンフー・スター 、リュー師父なのである。

筒井修(映画宣伝プロデューサー)

リュー・チャーフィー 出演作品

1974年 『殺出重囲』『洪拳與詠春』
1975年 続・少林寺列伝
1976年 ワンス・アポン・ア・タイム 英雄少林拳
1978年 少林寺三十六房』『少林寺VS忍者』『激突!螳螂〈とうろう〉拳』
1979年 『少林皇帝拳』『霊幻少林拳
1980年 続・少林寺三十六房』『レディクンフー激闘拳』
『続・少林虎鶴拳 邪教逆襲』
1981年 ワンス・アポン・ア・タイム 英雄少林拳 武館激闘
1982年 『少林寺武者房』『秘技・十八武芸拳法』
1984年 『少林寺秘棍房』
1985年 新・少林寺三十六房
1988年 『タイガー・オン・ザ・ビート』
1989年 『孔雀王』
1993年 『ラスト・ヒーロー・イン・チャイナ/烈火風雲』
1994年 『フル・ブラッド』
2003年 『超酔拳』 『スター・ランナー』『キル・ビルVol.1』 『キル・ビルVol.2』
2005年 『少林キョンシー』