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洪家拳の誇りと共に、"正宗国術"ラウ・カーリョン

迫力の洪家拳アクションで、ショウ・ブラザースのみならず香港功夫映画史に多大な功績を残した人物、それがラウ・カーリョン(劉家良)だ。

1937年広東生まれのラウ・カーリョンは、あの近代中国武術の偉人・黄飛鴻直系門徒の林世榮の弟子ラウ・ジャンを父に持ち、7歳から南派の洪家拳を学んだ。カーリョンにとって父親は絶対の存在で、大陸時代に通った小学校5年生の学歴しかないカーリョンにとって、少年時代のラウ・ジャンとの厳しい武術の鍛錬や、師弟としての会話は何事にも変えられない財産となった。後年、彼はこの父との心暖まる会話の風景を、自身の監督作『ワンス・アポン・ア・タイム英雄少林拳』(76)の劇中で、陸阿采と黄飛鴻の師弟愛に溢れた問答シーンとして、ソックリそのまま再現してみせている。

さて、ラウ・ジャンがクァン・タクヒン主演の黄飛鴻映画に出演していたため、カーリョンも15歳で映画界に入り様々な経験を積んだ後、相棒タン・チァ(唐佳)と共に『雲海玉弓縁』(66/未)で構築した斬新な殺陣がショウ・ブラザースに認められ、同社と武術指導として契約する。やがて巨匠チャン・チェ監督の下で武術指導を担当していくが、当時のカーリョンの武師としての実力を示す逸話がある。74年にチャン監督が台湾に設立した長弓電影公司の新人オーディションの際、試験官だったカーリョンは、応募者が自分の学んだ武術の門派を告げると、即座にその門派の動きをその場で再現して見せ、「お前の門派の動きはこうだな?お前にこれができるか?」と応募者の実力を鋭くチェックしてきたという。

この長弓電影公司とは武術指導兼監督で1年に2本の監督作品が撮れる契約を結んでいたが、チャン監督は何時になってもカーリョンの要求を聞き入れず、ついにカーリョンはチャン監督と袂を分け香港へ帰り、初監督作『マジッククンフー神打拳』(75)を撮る。香港映画初の功夫とコメディー性を合致させた本作品から判るように、彼の作品には絶えず笑いがあり、例え悪人でも決して命は取らず、また既成の香港功夫映画に見られた鮮血と暴力描写ではなく、リアルで説得力に溢れた弾けるように打ち合う電撃の武打シーンで観客を魅了していったのだ。さらに代表作『少林虎鶴拳』(77)や『少林寺三十六房』(78)では、自らのルーツである実在したとされる南派少林英雄たちの気迫漲る練武シーンを詳細かつ丹念に描き、自らが提唱する中華民族の誇りと伝統を武術を通じて示す、言わば"正宗国術"路線を満天下にアピールしたのである。

また近年ではジャッキー・チェンとの共演で話題を呼んだ『酔拳2』(94)で、厳しい目を持つ香港映画の武術指導家たちから思わず喝采を浴びたシーンがあった。それは映画の序盤、カーリョンとジャッキーが機関車の床下とレールのわずかな空間で展開した一騎打ちであった。著しく困難な状況下で、槍を駆使した様々なバリエーションの攻めでジャッキーを追い込んだカーリョンを、多くの武師たちは「さすが劉師父!」と絶賛したのだ。

ここ近年のカーリョンは、95年のリンパ腺癌の告白、01年の元女優で愛妻・翁静晶の不倫相手の事故死など多くの苦難があった。だが久しぶりの監督作にしてショウ・ブラザース作品『超酔拳』(03)や大型武侠片『セブンソード』(05)では相変わらず元気な姿を見せており、今後も実弟ラウ・カーウィン、義弟リュー・チャーフィー、そして甥(カーリョンの実姉ラウ・スイイーの息子)のラウ・カーユンら"劉氏兄弟"と共に、ラウ・カーリョンの"正宗国術魂"は不滅である。

知野二郎(香港功夫映画評論家)

ラウ・カーリョン 主な監督作品

1975年 『マジッククンフー 神打拳』
1976年 『ワンス・アポン・ア・タイム 英雄少林拳』
1978年 少林寺三十六房』『激突!螳螂拳』『少林虎鶴拳』
1979年 『マッドクンフー 猿拳』『少林皇帝拳』『霊幻少林拳』『少林寺VS忍者』
1980年 続・少林寺三十六房』『続・少林虎鶴拳 邪教逆襲』
『レディークンフー 激闘拳』
1981年 『ワンス・アポン・ア・タイム 英雄少林拳 武館激闘』
1982年 『秘技・十八武芸拳法』
1983年 『少林寺秘棍房』
1984年 新・少林寺三十六房
1985年 阿羅漢
1994年 『酔拳2』
2002年 『超酔拳』